私が海岸清掃を始めたのは大学4年生(2022年3月)の頃でした。
当時下関に住んでいた私はずっと海をきれいにする活動がしたいと思っていました。しかし、就活や卒論で忙しくなかなか取り組むに至るまで時間がかかりました。卒論発表が終わり大学生活の余生を謳歌しようと思った時にまずやろうと思ったのが、海岸清掃イベントを開くということでした。コロナ禍で2年間まともに同級生と会うこともできなかったため、最後に大学4年生がコミュニケーションを取れる場所が欲しかったのです。そこでまずごみの処分をどうしたらいいのかと下関市の環境部クリーン推進課に相談しました。しかし、「分別がかなり複雑なため、ある程度責任の取れる自治体か以前からボランティア経験のある人が所属する団体にしかボランティア袋を提供することができない。」とのことでした。そんな時に出会ったのが『うしろはま鳴き砂を守る会』の皆さんでした。
実際に海岸清掃に参加させていただき、分別の難しさを痛感しました。ペットボトルと洗剤ボトルは別。ブイと漁網も別。発電機のような何ごみで出したらいいのかわからないようなものもあり大変だったのを鮮明に覚えています。
うしろはまでは本当にたくさんの方との出会いがありました。しかし私は21日に卒業式を迎え、翌日には就職のため愛媛県に引っ越ししなければなりませんでした。
後ろめたく感じながらも4月には晴れて社会人。「これでやっと海のそばで、海のために働ける!!!」と思い、期待と夢を膨らませて初出勤を迎えました。しかし、その海にはうしろはまとは比べ物にならないほどのゴミの山。愛媛県は日本一の水産大国で、とにかく美味しい魚をたくさん生産していると知っていたため、期待と夢は一瞬で不安と失望に変わりました。新人で余計なことはできないな、、、と思った私は幻滅しながらもそのゴミたちを見て見ぬふりしていました。(今も試用期間中のペーペーですが、、、)
だんだん先輩方とも仲良くなり、プライベートでも遊んだりするようになってそこでずっと思っていたことを相談することができました。「俺もあれはずっと見て見ぬ振りしていたんだよね。最初は問題視していたけど業務に追われて毎日あの景色の中働いているとそれが普通になってしまってた。掃除するのすごくいいことだと思う!応援するよ!」その言葉がわたしを動かしてくれました。
6月7日。私のしごおわ海岸清掃が始まりました。
ゴミ袋を握りしめて海岸のテトラポットに向かい、改めてそのゴミの山を見ると気の遠くなるような量でした。足を踏み入れるとゴミの中にくるぶしまで足がしずむのです。筏のフロートとして使われている発泡スチロールや、アコヤガイ養殖に使われるエンビパイプ、黒球ブイ、愛媛の水産会社の名前が書かれた餌箱。ほとんどが宇和海沿岸から流出したゴミであることは明確でした。
テトラポットの一角(約100m×約100m)を掃除し始めて6日目、やっと雪のように積もったゴミの底が見えました。この白いの全部フロートが砕けた発泡スチロールです。
「これで本当に世界に日本の海を誇れますか?自分の出したゴミじゃないからですか?自分たちの海じゃないんですか?共用スペースは汚して知らんふりでいいんですか?子どもたちにそんな大人の姿を見せられるんですか?こんな汚いところに住んでたら海の生き物だって病気にもなるし、姿も消しますよ。それで本当に海が好きと言えますか?それで本当に魚が好きと言えますか?」
少し強い言葉ですが、この時私はゴミを拾いながら泣いていました。
それからも、週に1回は海岸清掃を行っています。最近は職場の上司から「俺もしごおわ海岸清掃したよ!」とか、後輩から「私も一緒に海岸清掃したいです!」とメッセージが送られてくるようになりました。わたしの周りのごく少数の人の意識だけでも変えられたことにすごくやりがいや達成感を感じています。いずれもっとたくさんの人がこの海に実態に気づいてくれるようにこれからも活動頑張ります!もしこのブログを読んで、「海岸清掃したよ!」という方はぜひコメントでもDMでも送ってください🙇♀️✨